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様々な国の統治下に置かれながら、独自の文化を守ってきた国がナウルです。

B-24の爆撃を受けるナウル

ナウルの議会

ドイツ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、そして日本。
ナウルは、様々な国が占領・統治をしてきた島です。
リン鉱石と対外援助に頼りながら、必死に生きてきた彼らの姿がそこにはあります。

ナウルの歴史

ポリネシア人とメラネシア人がナウル島の先住民である。
1798年 イギリスの捕鯨船ハンター号の船長ジョン・ファーンがナウル島を「発見」する。
ファーンはプレザント島 (Pleasant Island) と命名した。
1888年 ドイツ領となる。
翌年、豊富なリン鉱石が発見された。
1906年 リン鉱石の採掘が始まる。
1914年 第一次世界大戦の過程でオーストラリアが島を占領。
イギリスの支配下に入る。
1920年 国際連盟委任統治領となる。
イギリス、オーストラリア、ニュージーランド3国の委任統治下にあったが、リン鉱石はイギリスが採掘していた。
1942年 日本軍が占領。
1946年 1月1日にアメリカ合衆国が占領。
1947年 国際連合信託統治領になる。
1968年 1月31日、イギリス連邦内の共和国として独立(1970年まではリン鉱石の権利がイギリスに残っていた)。
ナウルの首長、ハマー・デロバートが初代大統領になる。
1976年 バーナード・ドウィヨゴが大統領に就任(~1978年)。
1987年 南太平洋非核地帯設置条約に調印。
1989年 初めてリン鉱石の産出量が減少する。
1999年 地球温暖化による海面上昇を解決するため国連に加盟。
ただし、ナウルは中華民国を国家承認しているため、同国と対立する中華人民共和国の妨害にあって加盟が危うかった。
隣国のキリバスと同時加盟だが、キリバスは中華人民共和国と国交を持っていたにも拘らず、ナウル加盟を支持していたため、巻き添えになりかけた(キリバスも後に中華人民共和国と断交し、現在は中華民国と国交)。
このころには唯一の収入源ともいえるリン鉱石がほぼ枯渇したため、政治的な動きを繰り出すようになる。
2001年 オーストラリアに向かったアフガニスタン難民を受け入れる。
その見返りとして、オーストラリアから援助を引き出した。
しかし、難民はオーストラリア入りを希望していたため、2003年末にはハンガーストライキによる抗議が始まる。
結局、難民はオーストラリアに引き渡された。
2002年 中華民国との国交を断絶し、中華人民共和国と国交樹立。
中華人民共和国から1億3000万ドルの援助を引き出した。
2003年 2月21日、BBC放送が諸外国からナウルへの通信が途絶したとのニュースを配信。政変やクーデターが推測されたが、資金的な事情で通信設備が維持できなくなったことが後に判明。
2004年 オーストラリアから1,700万ドルの無償資金供与を受ける。
2005年 5月、中華民国と復交。同時に中華人民共和国と再び国交断絶した。
2005年 8月、日本外務省はナウルに対して無償資金協力(ノンプロジェクト無償資金協力)を行うことを決定した。
このノンプロジェクト無償資金協力は、ナウルの経済構造調整計画の実施を支援するもので、ナウル政府が経済構造改善の推進に必要な商品を輸入する代金の支払いのために使用される。
2006年 4月、中華民国の援助でエア・ナウルのボーイング737旅客機を購入。
以前所有していた旅客機は財政危機によりオーストラリアで差し押さえられていた。
国会の定員は18人。
国会議員は3年ごとに選出される。
共和制を採り、国会議員の中から大統領を選出する。
大統領が内閣を任命する。
複数の政党が存在し、民主党とナウル党が主要政党である。
長年デ・ロバートが大統領と評議会議長を独占してきたが、1989年に行われた選挙で、ドウィヨゴが新大統領に就任した。

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